最近、“寝たい”、“食べたい”、“ゆっくりしたい”の三大欲求がすごく強い。
頭の中には作陶のことや、音楽活動のこと、youtubeの次の構成のことなどいろいろあるけれど、
そんなことよりもゆっくりしたい。
言い方を変えるとやる気が起きない。
朝の習慣、早起き、ウォーキング、トレーニング、朝食は守っている。
だけどバイトの時は行かないと”いけない”からいけるけれど、
自分の課題の場合一日結局やらない事になる。
自分でやるしかない事も分かってる。
やらないと遅れていくだけなのも分かってる。
遅れていくと、後悔することも分かってる。
だけど手につかない。
自分にとって、独りでやれる限界なのかもしれない。
仕事だったら行きたくなくても、しんどくても行かないといけない。
誰か待ってる人がいるなら、それもやらないといけない。
だけど誰も待っていない、何か活動したところでお金も特に生まれない、
バイトで適当な収入はある、家賃はいらない、ではやる必要性はない。
つまりやる意味が自分の中以外にない。
自分の足で立ちたい
(見ず知らずの人から僅かな給料を貰って生活するスタイルじゃない生き方)
と言う願望は強い。
しかし一方で、仲間たちと何かをやり遂げる楽しさはとても魅力的だ。
けれどそれは別に、雇われてやらなくっても出来ることだから、
それも願望として持っておいて全然良いだろう。
「別にやる気がないならやらなければ?」
「誰に強要されているものでもないでしょ?」
「そんな感じじゃ結局うまくいかないよ」
「別にフツーにどこかの会社で働くだけで全然良いじゃん」
燃料は安いほうが良い。
高くてレアな燃料だと、また補給が大変だ。
そのへんの草とか、チョコレートとかでぐんぐん走る方が良い。
ただ残念ながら、自分にとっての燃料を把握していない。
「あの車に乗りたい」
「有名になりたい」
「起業して社長になりたい」
「SNSでインフルエンサーになりたい」
「歴史に名を残したい」
そういうの全部ない。
特に欲がない。
じゃあ避けたいことは?
- 親をがっかりさせる
(親が望む人生を生きるという意味ではない) - 顔も見たこと無い様な社長の会社の社員
- 特に理念に共感す訳でもない会社で、ある程度の給料を与えられ搾取されている
- どこにでもいるしょうもないおっさんになる
- 友達がいない
- 何も取り柄がない
- 意欲が失われている
- 顔色が悪かったり、見た感じ健康的でない
うん、そうだな。
友達が周りにいて、そしていつも何だか楽しいことを企んでいそうな感じ。
(あんなことしたい、こんなこともしたい、って感じの。)
映画音楽作りたい。
ラテボウルを作ってみたい。
ビアグラス作ってみたい。
日本酒用のおちょこ的なの作ってみたい。
もっと外見を磨いていきたい。(脱毛、ピアス、筋トレ、顔色など)
視点を変えれば、
なんだかこの人といたら楽しい、面白そう。
みたいな雰囲気が無ければそもそもダメだろう。
寝たい、食べたい、ゆっくりしたい、が強かったとしても、
イコールだらけているのとは違うはず。
今はどちらかというと、ただ意欲的でないだけだ。
小学校時代の夏休みのように生きてみよう。
そして、「暇」は歓迎しよう。
暇だなんて、そんな事言っていられない。やるべき事は山積みだろ。
こんなことを言っていたらダメな気がする。
そうだ、暇が大事だ。
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