暗いニュースでナーバスになった時

エッセイ

ここ最近、暗いニュースがとても多い。

突然勝手に口座に何千万円も振り込まれて人生おかしくなった人。
DVの被害者なのに、加害者以上にその後の人生で苦労している人。
子供を殺された挙句に住まいを失い、借金まで背負っている人。
いい加減な社長とこの国のせいで自分以外の家族を失った人。
今までたくさんの人を楽しませてきたのに、自ら自分の人生を閉じた人。
幼い我が子を自分の過失で失った友人。

挙げ出すと、もう連日キリがない。
この世は当たり前のように不条理なのである
どんなに日頃の行いが良くても、
優しい人柄でも、
ある日突然どん底に叩き落とされることがある。

またどんな悪人だろうと、
のうのうと生きて人生を全うする人もいる。
これが人間社会であり、人生なのである
これが大前提なのであるという事をまずは
分かっておかないといけないだろう。

こんな現状を見続けていると、
ふと何の問題もなく生きている自分が悪いような気がしたり、
いつこの状況が一変するか不安になったりする。
あす突然、自分が被害者家族になるかもしれない。
なんなら明日は自分が死んでいるかもしれない。
もしくは感情移入してしまって、
すごくナーバスにもなってしまう。

しかし、今の恵まれた自分の現状に罪悪感を抱くのはやはりおかしい。
おかしいというより、良くない。
抱くべきはやはり感謝だろう
まず自分が罪悪感を感じたところで誰も特をしない。
相手方にもプラスにならないし、
自分にとってもマイナスにしかならない。
そんな事分かっていてもやっぱり心に暗雲が立ち込める。
それでもやっぱり誰も特をしないのだから、
一日に数回でもいいから「有難い」という気持ちへ
シフトする癖を付けていくしかないだろう。

また、明日は我が身かと不安に思っていてもまた仕方がない。
今を十分に生きることが責務だ
勿論出来る対策はしておけば良い。
未だに横断歩道のギリギリで信号を待っていたり、
電車の先頭車両などに乗る人は
やはり危機管理が足りなさすぎると思う。
意識していなくても、自分は大丈夫と思っているパターンだ。

こういう事は愚かだと思うが、
自分のできる範囲のことを過度ではない程度にやっている。
そうであるならば、もうそれで何かあったら
それは仕方がないじゃないか。
つまり何かあった時に、後悔がどれだけ自分にのしかかってくるか。
その点をちゃんと気を付けていたのなら、もう後は仕方がない。

よく「どうして自分が」とか
「なぜこんな目に」と言う言葉も耳にするが、
それは人生だから仕方がないんだ。
初めにも言ったように、人生とは不条理だから。

だから繰り返すが、
もし今自分が何の問題も抱えず
(問題とも取れないような些細なことは無数にあるかもしれないが)
日々の生活を送れているのなら、
その現状一つ一つに感謝をし、今日一日を十分に生きること
感情移入してナーバスになったり、
あまり不安にならないこと。
これは誰の特にもならないから。

これが我々部外者の責務だろうと思う。

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