現代を生きる「アーティスト」の端くれとして考えること

今は本当に本当に恵まれた時代だ。一昔前まではあり得ない事がたくあんある。
今や自分の作品を世界中の人に見てもらえる。
音楽、絵画、文学、アニメに映画。
思想だってそう。
そしてとても手軽に販売もできる。
それもまた、世界中の人に対して。

だけどこう言った世の中に、どうしても抵抗感がある。
きっと昔人間だからなのだろう。

「アーティスト」とは、坑道のカナリヤでなければいけないと
誰かが言っていた。
僕もそう思う。
つまり誰よりも早く社会に対して警鐘を鳴らす。
何かおかしい。
とてもおかしな事になってきている、と。

今は銀行はネットバンクの方が明らかに賢い選択だろう。
未だに町のATMの前に列をなしている中に若者なんていない。
時間も手数料も無駄だし、
全てのお金の管理はスマホで出来る。

だけど、まだ給料を封筒に入れて手渡して貰っていた世代が言うには
貰った時はそれは嬉しかったそうだ。
封筒にずしっとお金の束が入っている。
「働いた!」
それに代わる実感と達成感は、現代で言う何なのだろうか。

今は聞きたい音楽はネットで大体聞ける。
買いたければスマホで即ダウンロード、即聞ける。
これも当たり前になっているし、とても効率的だし無駄がない。

だけど、まだレコードを店に買いに行っていた世代は言う。
あの匂いが忘れられないと。
レコードを買う前におじさんがスプレーで盤面を吹いてくれたそうだが、
その独特の匂いがその時の感動と一緒に記憶に残っているそうだ。

絵だって今はタブレット一枚で描ける。
あらゆる色が作れて、切り貼りもいくらでも出来る。
修正だっておてのもの。
紙も無駄にならないだろう。

だけど、そこには筆を水で溶く音はない。
もちろん匂いもない。
本当の自由もない。

今、大事なことがどんどん抜け落ちていっているように感じる。
五感で感じるということ。
これで果たして良いのだろうか。
音楽家である自分は、
ネット社会に対してどの様に対峙していけば良いんだろうか。

「だからネットは使わない」「スマホも持たない」
これでは、世捨て人と同じだと思う。
電気も使わないと言って山で生きていくのと本質的に同じ。

芸術は時代の流れの中にあってこそ。
だからこそ時代を反映できるのだし、するべきだと思う。
逆手に取るがキーワードになるように思う。
これからの時代、このキーワードが大事な気がする。


今の世の中、隙だらけだ。

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