話し終わった後

少しだけとれた自己正当化バイアス
「これまでやったことは、何一つ困らせてやろうとか考えて
やったものはない。
途中で抜けるとか、物引き上げるとか。」
けどそれは相手も同じ。
傷つけてやろうとか思って言ったことではない。
それをどう受け取るか、だけの問題。

だけど、ほぼ正常化バイアスはとれない。
これほどまで取れないという事は、
バイアスを超えているのではないか。
よほど自分の中の大切な部分に結びついているのではないか。
彼は、チームにとって、
部長が課長に、課長が係長に感謝をしないのと同じで、
意志の結びつきや感謝などは重要ではない。
個々が全体の目的を理解していて、
それぞれが一つの歯車として役割を分担する。
淡々と、粛々とやるべきことをこなしていく。
こういう意識が大事だという旨を言っていたのだと思う。

こう言うところに激しく違和感を感じるし、
彼のこれまでの態度とも合致するなと感じた。

だから、そこにやはり自分が大事にしたいものがあるのだと思う。
人生での財産は、仲間。
葬式の時に全部出る。
どれだけの人が本気で泣いてくれるか。

どんな人に囲まれていて、
その人たちとどんな感情を共有できるか。
一緒に喜んで、切磋琢磨して、
尊重出来て尊敬できる。
人間的な魅力がある。
ただし、友達と仲間は違う。
友達は、気兼ねなく付き合える物としてよい。
では仲間とはいったいどんな関係性なのだろうか。
もしもあれが一般的な、そして理想的な仲間の関係性だとしたら、
自分は合わない。

ちなみに基本的には自分の考え方を一切曲げない人だが、
お金に関することは考えを柔軟に変えるんだなと思い、
とても残念に感じた。
初めから返さなくて良いと思っていたし、
そこで相手から金は返すとあったから変に期待しただけで
ここまで関わった責任と言うか
げんに店を借りて諸々の手続きを進めて
いろんなものを買って準備に当たったところまでは関わってるので、
だから別に良いんだけどね。

でもやっぱり、なんかおかしい。
おかしい気がする。
ずっと正しいっぽいことを言ってるみたいなんだけど、
いまいちよく分からない。入ってこない。
7割くらいは分かるんだけど。
何が独りよがりなのか。
相手に感謝を求めることは独りよがりなのか。
正当化バイアスがはずれない。

こちらがいつでも来れるように、お金は使わせてもらう。
貰うていから出発してないか?
返して欲しかったのにそうならなかったから、激しく反応しているだけか?
いつでも来れるようにと言うのは、本当の優しさか。
いつでも来れるようにと言うのは、
いつでも戻ってこれるようにと言う事か。ならそう言うか。

それならじゃあ返してくれ、と言うのはダサい。
一度一緒にやっていくために渡したもの。
それを相手がどんな理由をつけて使う事にしようが
こちらにはもう関係ない。
こんなダサいセリフを一度でも口にすれば
大事なものが変わってしまうだろう。
相手の言葉は関係ない。
これからの家賃も状況も自分が抜けることで変わる。
まあそれの足しにでもしてくれ。

文章を相手がどう読み取るかわからない
読むかどうかもわからない
だから文章というものは怖いし、手紙を書くという行為は独りよがり。
書いたら言いたい事言い終わった、おしまい。みたいな。
そうか?
だから読まない、話せばいい、という考えを押し付けるのもまた
独りよがりだろう。
違和感①。

チームのメンバー同士で、感謝を伝え合うなどは必要ない。
個々が共通の目標を把握していて、
それに向けて己の役割を淡々と果たす。
それがチームの力となるし、チームとして大切なこと。
そうか?
山頂を目指す山登りのチームでメンバーがクマに襲われたとき、
とっさの判断で普段から何の感謝もしない人と
いつもありがとうと言う人とでどちらが協力を得られるだろうか。
そんな淡々と役割のみを遂行するチームから、
果たして良いものが生まれるのだろうか。
違和感②

金に関するときだけ
柔軟に考え方を改める気がする。
違和感③

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