身近にある美に気づく

エッセイ

最近、ふと気付いた景色があまりに綺麗で、
思わず声が漏れてしまったという経験をしました。

国内の絶景巡りをしたわけではありませんし、
映画や写真を見たわけでもありません。

その景色とはとても身近に、ただ朝の十数分と言う時間の中にありました。

少し前から朝の散歩を日課にする事が出来てきているのですが、
例えば3月中旬の今だと朝6時20分くらいに家を出ると
ちょうど太陽が遠くの山の向こうから出たか出てないか位です。

その時に際立ってくる山の輪郭が、こんなに美しいものなのかと。
太陽が完全に出てしまったらダメなんです。
明るくなりすぎて、山の輪郭はボヤけてしまいます。
空が明るくなって来た頃から、日が昇るまでの空と山のコントラストが
本当に綺麗で感動してしまったんです。

しかし、山の輪郭ってそのまま「山の輪郭」で良いのでしょうか。
いやもっとちゃんとした言い方がある気がする。
例えば「稜線」と言う言葉もあるが、それはちょっと違う気がしました。

と言うことで少し調べてみると・・・

  • 山と空との境界線の、空側を指すとき・・・山際(山ぎは)
  • 山と空との境界線の、山側を指すとき・・・山の端(山のは)

という事が分かりました。なるほど。
境界線の空側と山側、どちらを言いたいかで言葉を使い分けているとは
流石日本らしいというか奥ゆかしさを感じます。


ところで・・・山ぎは。なんかどこかで聞いたことがある。

「やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明かりて・・・」これだ、ここで耳にしてるんですね。
そしてこれって、「春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは・・・」じゃないですか。

あぁやっぱり、そういう事なのか、と。
同じこの日本でおよそ1000年前に、同じように感じた人がいたんです。
そしてちゃんと残してくれていたんです。「春は朝方が良い」と。

そんな事でなんだか更に感慨深く、二重で感動してしまいました。
この誇らしい日本人の遺伝子を、失いたくはないと思います。

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